2021年後期の朝ドラ『カムカムエヴリバディ』。
『カムカムエヴリバディ』のタイトルは、終戦直後から放送されていたNHKラジオの英語講座『カムカム英語』のオープニング曲「カムカムエヴリバディ」からきているそう。
このことから分かるように、この物語の軸には終戦後からはじまったNHKのラジオの英語講座があります。
そして12月1日の放送から劇中でラジオ英語講座の放送がはじまりましたが 、このラジオ講座の人の声が癒されると話題になっています。
そこで今回は、『カムカムエヴリバディ』にて「英語講座の声を担当している人は誰なのか?」まとめていきたいと思います!
目次
【カムカムエヴリバディ】ラジオの声は誰?

『カムカムエヴリバディ』にて、英語ラジオ講座の声を担当されているのは
シンガーソングライターのさだまさしさん
です!
まさかさだまさしさんが主題歌ではなく、ラジオ講座の声として、朝ドラに出演されていたとは驚きですよね。
さだまさしさんご自身も、
『連続テレビ小説からのお誘い』と聞き、やっと主題歌が歌えるぞ、と期待したら大違い(笑)。
驚きの『出演』でした。
と、念願の主題歌かのお誘いかとおもったら、ラジオの声での出演で驚いたそうです笑
制作統括の堀之内礼二郎さんは、物語のキーパーソンである英語ラジオ講座のにさだまさしさんを抜擢した理由について、以下のように説明されています。
「(ラジオを)聞いている人を元気づけようと語りかける平川さんを思い浮かべた時、さだまさしさんの姿が重なりました」
まさに新型コロナウイルスの影響で日本中が暗い雰囲気の中、
医療従事者の支援を行なったり、NHK総合で「泉谷・さだの“ふんばれ!ニッポン”」などの番組に出演するなどして、率先して日本を元気づけようとされてきたさだまさしさんは、平川唯一さんを演じるのにぴったりですよね。
さだまさしさんは、今回の役を引き受けるにあたって以下のようにコメントされています。
戦後の暗い日本を明るく励ました人物で、ヒロインの人生の転換点になる重要な役と聞き、重すぎて断ろうかと思いました。
でも、プロデューサーから『コロナ禍の日本で、みんなを元気にしようと頑張っている人、と考えた時、さだまさししか思いつかなかった』と言われ、お引き受けしました。
「終戦直後の暗い時代を生きて日本を明るくするために頑張った平川さんのことを思う時、新型コロナウイルスに苦しんだ日本の未来を明るくするお手伝いができたら幸せです」
ちなみにさだまさしさんは、英語講座の先生ということで、英語を話さなければいけなかったことが大変だったそう。
それでもネイティブの先生に教わりながら、努力されたそうで、劇中でもさだまさしさんの英語はお見事でしたよね。
【カムカムエヴリバディ】ラジオの声が癒されると話題!
12月1日の放送から、カムカム英語のラジオ講座がはじまりましたが「さだまさしさんの声が癒される」とSNSでも話題になっている様子です。
#カムカムエヴリバディ
— Sasuke-chan (@sasuke_07240904) December 1, 2021
ラジオ英語講師の声に素晴らしく癒される。
さだまさしさんだった。
さだまさしの英語講座のラジオ、癒されるので毎日本当のラジオで全編聴きたい。 #カムカムエヴリバディ
— emi (@_shiemi) December 1, 2021
カムカムは声が優しくて、聞いていて心が安らぐ俳優さんが多いけど、ラジオ英語講座もそう。癒される。#上白石萌音 さん#松村北斗 さん#城田優 さん#さだまさし さん#カムカムエヴリバディ
— お芋 (@i8_xun) November 30, 2021
今朝も平川さんの
— ちわぼん (@gamaguchiyeahoh) December 1, 2021
ラジオ番組に癒される。
#カムカムエヴリバディ
【カムカムエヴリバディ】英語講座のモデル・平川唯一さんとは?

さだまさしさんが演じている「カムカム英語」の英語講師平川唯一さんとはどんな人物だったのでしょうか?
平川唯一さんは、日本放送協会のアナウンサーで、ラジオの英語会話講座の講師を担当されていました。
「カムカムおじさん」の愛称で親しまれていたそうですよ。
平川唯一さんの経歴をまとめてみました。
- 1902年岡山県に農家の次男として誕生。
- 1918年 16歳でアメリカに出稼ぎに行っていた父の後を追い渡米。
- 1919年 17歳のとき、英語を勉強するため高級住宅街の米人家庭にスクールボーイとして住み込み学校に通いはじめる。
- スーウェド小学校に入学し、飛び級で進級して3年で卒業。
- ブロードウェイ・ハイスクールを4年で卒業。
- ワシントン大学に進学
- 1931年にワシントン大学演劇科を首席で卒業。
- 大学卒業後は、アメリカのキリスト教会にて、日米文化の伝達に努めたり、俳優として活躍。
- 1936年に日本に帰国し、NHKの英語放送アナウンサーに応募。国際放送のアナウンサーとして8年間勤務する。
- 終戦後は、1946年から1951年までの5年間、NHKのラジオ放送で「カムカム英語」を担当。
- NHKの「英語会話」講師退任後も、文化放送などで英語会話講座を続けたり、英語のテキストを出版するなど英語の普及に努める。
- 1993年8月25日、91歳で肺炎のためなくなる。
戦争前からアメリカに渡米し、アメリカの大学を卒業したり俳優業もされていたなんて、平川さんはすごい経歴の持ち主ですよね。
また平川さんは、日本の英語の普及に大きく関わった現在の日本にとってもとても重要な人物だったようです!
こうやって日本の歴史を知ることができるのも、朝ドラの面白いところですね!